上羽幌坑(二坑)

昭和20(1945)年、太平洋戦争が終戦と同時にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、石炭の増産を「経済復興の重点課題」にあげ、昭和21(1946)年12月、政府は石炭3千万トン増産の傾斜生産方式を発表します。
羽幌炭砿にも新鉱区開発の要請があり、それに従い昭和22(1947)年、上羽幌坑が開坑されました。
鉱区開発には「住宅建材の木材はじめ生産に要する鉄鋼などの資材割り当て」という魅力もありました。
※開業当時、上羽幌坑より一年後に開坑した羽幌坑を本坑、上羽幌坑を二坑として合併、羽幌坑に事務所を置き羽幌鉱業所としてスタートしました。

昭和24(1949)年10月、本坑(羽幌坑)-二坑(上羽幌坑)間の索道(さくどう:石炭を運ぶロープウェイの様な物)、2,916メートルが完成。
羽幌坑を経由して曙まで石炭を搬出しました。

羽幌鉱業所(羽幌坑・上羽幌坑)は開坑すぐに、五カ年計画で年産十五万トンのヤマづくりを目指し、選炭設備の増強や社宅などの福利厚生施設整備にも着手します。

羽幌鉱業所の実績 出炭(トン)
昭和23(1948)年度 12,688
昭和24(1949)年度 28,894
昭和25(1950)年度 54,050
昭和26(1951)年度 108,000
昭和27(1952)年度 134,540
昭和32(1957)年度 258,000

上羽幌坑は開坑から着々と出炭を伸ばし、満十年を迎えた昭和32(1957)年度には羽幌坑と合わせ、25万トンと大きく飛躍します。
出炭の伸び率は築別坑と同様、炭業界注視の的であった。
特に目を見張ったのは、一人当たりの出炭量で、開坑当時は在籍砿員一人当たり一日の出炭 0.35トンが、昭和32年度には、1.2トン。一人当たり一ヶ月の出炭は33.64トンと、国内ではトップクラスの高い数字を記録しました。

二坑本坑口

上羽幌坑は、採炭区域のほぼ中心にある本斜坑により出炭を行っていました。
昭和42(1967)年には本層及び下層を採掘しており、本層は120m~150mの面長、下層は100m~150mの面長。傾斜は10度~15度の緩傾斜でした。
下層払いにウンバウホーベルを導入し高能率を上げていました。

ウンバウホーベル
○ホーベル諸元
型   式 WF
高さ,最大 750mm
切削 深さ 50~150mm
切削 速度 22m/分
電 動 機 42kWx2台
○コンベヤー諸元
型   式 PF1型
ノルマルトラフ 1,500mm
チェン速度 40m/分
運 搬 量 360トン/時
電 動 機 42kWx2台
シフター(エヤー式) 1,500kg



運搬系統図
「昭和44(1969)年当時」

500kw 複胴巻上機

現在の上羽幌坑